やっぱりAPS-Cじゃ中望遠になっちゃって使いづらくてもったいない。
EOS 5Dが欲しいところ。
EF-S17-55mm F2.8で気楽に撮ってみた。
ここんとこMFばかりで遊んでた反動で、AFが楽すぎて笑った。
MFもAFもそれぞれの楽しさがあるのが分かったのがうれしいが。
でも、乱視が進んだのか、MFだとファインダー像がみづらくて困る。
マグニファイヤをつかうか、フルサイズに移行するかしないと解決できないんだろうか。
ライブビューじゃまどろっこしい事限りないわけで。
ここで護摩焚きを受けると、心が清々しくなるというか、年の初めのけじめがつく気がする。
おみくじを引いてみたが、凶を引いてしまい...気分がどよーんと。納得がいかずに強引に二度目で大吉ゲット。
金で運を買うのかとw
お参り終了後、境内に幾らかの出店が出ていたので、たこ焼きや焼きそばで小腹を満たす。
実は出店の食い物が大好き。なんでだろうなあ。
本当は出店でおでんで一杯とかがいいんだけど、そもそも酒を出す出店が見当たらない。
江戸の出店じゃないとだめだろうね。この辺は車で来る人ばかりだし。
そうしていると、鳩を抱いて何やらしている人が。
どうしたのかと聞いてみれば、脚に紐が絡まった子がいてつらそうだっで、取ってあげていると。
みていると、多分土産物屋あたりで借りたんだろう、結構大きな鋏で切りづらくて苦労している様子だったので、ビクトリノックスの鋏を提供。
鳩も不思議とおとなしくしている。親切がわかるのかな。
数分で紐も無事外れ、放してあげて無事を見守る。
寺でこのようなことに巡り会う。仏心だろうか。
天気もよく、気分もすっきりしたところで帰宅。
このレンズは軽くて取り回しが良い。身軽に動き安いし、最短撮影距離が短かくかなり寄れるので、制約が少なくて楽。
そして写りは立派に現代のレンズ。太陽光下での色乗りが良い印象。周辺減光がちょっと感じられるのはフードのせいかもしれない。
が、光線が弱めなところに入ると、また別の面を見せる気がする。一気に絵が枯れた感じになる時がある。不思議。
一度や二度じゃ癖は分かろうはずも無いので、今後も要修行。
といいつつ、Distagonもあるから並行して。贅沢な遊び。うれしい ;-)
ギリシャ語は読めない...
こんなに35mmばっかりあってどうするんだと自問自答しながらも、美味しそうでつい。
このレンズの出自はここにたっぷりと。
このlegend感が堪らないんですよ。
写真撮影は心情が大部分なんだから、こういう伝説的なものが心情に左右する部分がかなり大きいはず。
自己満足でもいいから酔うのが大切だとw
で、これはほぼ新品というコンディションでebayに出ていたのを落札したのが昨日到着。配送に約一週間かかった模様。
ギリシャから郵便小包だったのだが、Webでトラッキングできなくてハラハラしていた。
ギリシャの郵政省のWebには「電話しろ」って書いてはあるんだが...言葉わからないし。
体調もよくない上に、さらに曇天じゃ遊ぶこともできないので感想もあったもんじゃないが、庭先の花をちょこっと撮ってみた感じ、渋く憂いを帯びた色を出すといった感想。
Distagon 1.4/35は、艶っぽくてある意味エロい絵を出すなあと感じていたのだが、それとはまた違った味。
で、何がすごいって、最短撮影距離。レンズ前数センチまで寄れる。その上、ピントリングの回転量が多いので微妙なフォーカスができる、ってことは、まんまマクロレンズっぽく使える。ただ、鏡筒は結構伸びる。
ボケ味は開放F値が2.4なのでそれほど云々するものでもないと思うけど、良い意味で裏切られて、いい感じに自然な感じ。
逆に、無限遠はDistagonよりシャープさがある様子。
まあ、今後使い込んで癖と味をつかんでいこう。
ただまあ、子供を追いかけるときは純正AFレンズじゃないと歩留まり悪いだろうな。
使い分け的には、心情を残すか記録写真が目的か、という気持ちの問題になると感じている。一言で言っちゃえば「ノリ」でしかないが。
現代のレンズは記録写真はいけるけど、心が残りにくい気がする。
それはやっぱり写すときの手間の量だと思う。
AFでびしびし撮るのは確かに確実。だけど、心を込められないんだよな。込めてるという実感が無い。速すぎて込められないとでも言おうか。
MFでじっくりフレーミングしてると、フレーミングしてる間に「あ。これは捨てたい。こっちは入れたい」って考える時間ができる。
それがきっと大きな差になってると思う。
どっちが良い悪いじゃない。ケースバイケース。
記録写真だって、息子が成長したときに「小さい頃はこうだったよなあ」っていう歴史を記録したものとして振り返る材料には十分すぎる。
MFでじっくり撮り込んだ写真は、そのときの心情を思い返すだけの思い入れと記憶があるはず。
両方共あっていいんだと思う。
だから、今は撮りたい形で撮りたいものを撮っていけば良い。
堅苦しく考えて撮るのを躊躇してしまう方がいけない。
もしかしたら、息子が偉人になったりして、100年後になって貴重な品として扱われるかもしれないのにw
でも...記録メディアとして、HDDとかだと発掘とか発見とかっていうのは程遠いよな。
紙焼きしたものだったら、神保町の古書店街や大学の所蔵品から見つかりましたというケースがあるんだろうが。
100年後には「古いHDDを解析していたら見つかりました」とか言える?
それは無いよね。HDDなんか消耗品なんだから捨てちゃうよね。
良いのか?それで、と思ってしまった今夜。








